西郷どん第47話「敬天愛人」よかドラマでございもした。
とどでございもす。
今回で最終回。西郷さんのお話が終わりました。
西郷さんを失った家族や友人たちはそれぞれの悲しむ姿が描かれましたが、当の西郷さん本人や新八どん、私学校の生徒たちはむしろ明るく描かれていました。
「侍としての人生を生き切る」という覚悟でもって明治政府と戦い抜いたこともあり、死に場所を求めていた終着点にたどり着いた満足感があったのかも。
西郷さんの「もうここらでよか」はどういう意図で言ったのか、というのは皆それぞれ感想が別れそうね。西郷さん役の鈴木亮平さんも「皆さんがそれぞれ想像してもらったら」なんて言ってましたし。
NHKの西郷どんのページでは鈴木亮平さんからのメッセージがあるので、そちらもぜひ。
※2019年になってサイトは終了しました。
前回のあらすじ
私学校の生徒と一緒に東京に向かった西郷さん。その目的は「明治政府に物申す!」でしたが、熊本で政府からの奇襲に遭いました。
政府側は西郷討伐の詔を得たため、西郷さんたちは賊軍として討伐対象になってしまいました。
度重なる政府軍の襲撃に善戦するものの、だんだんと疲弊していく西郷軍。政府軍からは刀剣での戦いに長けた警視抜刀隊が投入されたことで、仲間たちがどんどん倒れていきました。この警視抜刀隊、薩摩出身者が大半を占めていたため、同郷の者同士が戦う悲惨な状態に。
西郷さんの弟・小兵衛が命を落とし、西郷さんの子である菊次郎も片足を失いました。
西郷さんが戦い続ける中、共に明治維新を成した木戸孝允が「西郷くん、いい加減にしないか」と言い残してこの世を去りました。
各地を転戦して逃げ込んだ村で、「生きたかものは投降してでも生きろ、死にたいものは死にやんせ」と軍を解散。
若い者を残し、侍としての人生を全うしたい人たちだけを引き連れて故郷の薩摩を目指しました。
今回はこんな話
今回のハイライトはこちら。
- 鹿児島に到達した西郷さんたちは私学校を奪還して城山に籠城
- 一方その頃、東京では一蔵が博覧会を開いて外国に日本の発展を知らしめる
- 一蔵は東京から西郷に投降を呼びかけるも、反応なし
- 西郷、最期の戦い
- 一蔵どんも凶刃に倒れる
- 完
今回も気になる所を中心に。
従道も延岡に到着
西郷家の人でありながら明治政府の側にいた西郷従道も九州にやってきたようです。
琴さぁに言われていましたが、割り切れない人にとっては従道は裏切り者と言われてしまうかも。特に琴さぁは息子の市来宗介が西郷隆盛に付いて行ってしまったので、糸さぁが自分の夫の覚悟を見届けるのと同じようにはいきません。
従道も多分西郷隆盛の意思を汲んで、西郷隆盛が挑んでも明治政府には勝てなかったという結果を残そうとしているのかも。この知らせがあれば全国の士族が再び立ち上がることはないですし。
そりゃできることなら生きていて欲しいでしょうけど、自分だけ生き延びるつもりがない西郷隆盛でしたから、弟としては兄の決意に泥を塗るような真似はできません。
東京に西郷隆盛と糸さぁ夫妻が住む場所を用意していたけれども、西南戦争が起こるまではなんとしてでも東京に来てもらおうとしていたのが感じられます。
西南戦争終結後、「この家に兄さぁと糸さぁに住んでもらうために広く作った」と泣きながらうなぎを食べる従道と妻・清さぁのシーンは結構来るものがありました。清さぁがいなかったら隆盛の後を追ってしまっていたかもしれませんし、彼女がいて良かったです。
従道が生きていたからこそ、その孫の孫、つまり玄孫が1話で出演することにもなりましたし、生きててくれて良かったなーとしみじみ思います。
1話の上野公園で行われた除幕式では、西郷従道の子供である桜子役として、従道の玄孫である西郷真悠子さんが出演していました。ガチ子孫です。自分のひいおばあちゃん役を演じるのはどんな気分なのでしょうかね。流石に想像できません。
動揺する一蔵
今回の一蔵どんは明治に入って以降見たことがないレベルで動揺していました。それもそのはず、明日にでも西郷さんの首が挙がってしまうかもしれないのですから、親友の一蔵どんとしては気が気じゃないです。
立場がある以上、反乱軍として立ち上がった西郷さんたちを放っておくわけには行かないので討伐の詔まで出してもらったとはいえ、個人としては止めたかったでしょうね。
博覧会では鹿児島から民芸品が届いていませんでしたが、演説の時には薩摩切子を傍に置いていました。冷酷な内務卿を演じながらも、心は薩摩にあったのかも。
西郷さんが投降に応じなかったことで、次の日には攻め入らなければならない状況となり、もう演説中に泣き出す始末。こんな大久保卿見たことない、なんて政府内でも動揺が広がったことでしょう。
極めつけは戦いが終わった知らせを受けた後に家に帰って泣き叫んでいたこと。親友の命を奪う命令を自分で出したのはかなり心に来たはず。
もなむーる
最期の日、戦いに向かう新八どんは大事にしていた外套を火にくべました。胸ポケットには外国の女性の写真が。
ポツリと「もなむーる」と呟いていたのは、「mon amour」で「私の愛しい人」でした。
そういえば西郷さんに「明るい曲を頼む」と言われた時にはアコーディオンでフランスの国歌(La Marseillaise: ラ・マルセイエーズ)を演奏していましたし、岩倉使節団の時にフランスを訪れた際に恋人を見つけたってことですかね。裏山。
ドラマを見ている時には「なんか聞いたことあるなー」くらいの感覚でしたが、多分オリンピックとかサッカーとかで聞いてたのかも。
なおフランスの国歌は直訳すると歌詞が残酷なことでも有名で、「我らに向かって暴君の血まみれの旗が掲げられた」とか「進もう! 進もう! 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!」とか「下劣なる暴君どもが我らの運命の支配者になるなどありえない!」とか「我らは気高い誇りを胸に先人の仇を討つか後を追うのみ!」といった調子です。
歌詞の翻訳を見ると、ある意味では西郷軍の私学校生たちの心情を表しているようにも取れます。
曲調が明るいのもまたこの場面では悲しみを誘います。
西南戦争は西郷軍が負けることに意味がある
史実の西郷さんはどんなことを考えて立ち上がったのかは分かりませんが、このドラマでは頻発する不平士族の反乱を鎮め、日本から戦を無くすことが目的でした。
反乱を鎮めるために自分が反乱軍の首魁として立ち上がる……というのも直接的には結びつきませんが、戊辰戦争で活躍した西郷隆盛が戦いを挑んでも明治政府に勝てないことを示せば、「あの西郷隆盛でも勝てないんじゃ、もう明治政府に反抗するのやめたほうが良くね?」と各地の士族たちに思わせることができます。
言っちゃえば壮大なメガンテなんですよね。自分の命と引き換えに反乱士族の牙を折る感じ。
大久保利通からの降伏勧告と助命の手紙を読んだ時に「西郷先生は生きてくいやんせ! 先生がいればまた誰かが立ち上がりもす!」と言っている私学校生がいましたが、あれは西郷さんの決意を強める方に動いたのかも。やっぱり自分がいては反乱は終わらない、ここで散っていかなければならない、なんて。
懐かしの面々
城山決戦の途中で薩摩にいた人たち、あるいは西郷の訃報を聞いた人たちが順番に出てくる演出が良かったです。こういうベタな演出すごく好き。
薩摩では城山への砲撃を泣きながら聞く海江田、斉彬様の写真を見つめる国父様が。
東京では勝海舟が。
場所は分からないけど新聞を読んだヒー様とふきも出てきました。
特にヒー様が出てきたのは泣きそうになりました。明治維新や戊辰戦争でお互いに喉元に刀を突きつけあうようなこともありましたが、昔からの友人ですから思うところも多いはず。
「俺みたいに逃げれば良かったんだ」と言っていたヒー様がとても寂しそうでした。
つんちゃんたちは帰ってきました
前回、延岡の村で首輪を外されたつんちゃんとごじゃ。
彼女たちは西南戦争が終わった後、糸さぁの元に戻ってきてくれました。
彼女たちだけでも戻ってきてくれたのは糸さぁにとって辛い気持ちを和らげてくれる出来事だったのかもしれません。
最終回にも登場してくれて私にとっても嬉しい限りです。
うちの旦那さぁはこげな人じゃなか!!
1話冒頭で上野公園の西郷さんの銅像が映し出されました。
除幕式に参加した西郷さんの妻・糸さぁは銅像を見て「違う! うちの旦那さぁはこげな人じゃなか!」と声を挙げていましたが、あの答えが今回示されました。
西郷さんが延岡で糸さぁに会った時に、子供達にメッセージを託しました。それを聞いた寅太郎たちは「西郷星になってみんなに拝まれちょいもす」と言いますが、糸さぁは「それは違う」と答えました。
西郷隆盛は高い場所にいて誰かに拝まれることを喜ぶ人じゃない。むしろ低い場所にいて人に寄り添う人間だ、と。
糸さぁにとってはこれが西郷さんでしたから、上野公園で高い台座の上にいて、うっすら微笑んでいる西郷さんの姿は、糸さぁにとっては違う人だったんです。
史実としてどんな意図でこの言葉を口にしたのかは分かっていません。浴衣で歩いている姿を銅像にしたことから「うちの人は人前でこんな格好をしない!」という意味だった説もありますし、西郷さんの写真が残っていなかったことから全然似ていなかったなんて説もあります。
ただドラマとしては1話の伏線が回収されたのですっごい気持ちいい感じがしました。
あと1話の除幕式で流れていたBGM『見よ、勇者は帰る』は今回の博覧会でも流れていました。同じBGMが流れる中で西郷さんの様子と一蔵どんの様子が映し出されているのがまたいいコントラストになっていました。
忘れ物をした。大久保正助じゃ
西郷さん死神説。
西郷さんが西南戦争で散って半年後、一蔵どんが参内途中に襲撃を受けました。
息も絶え絶えになった一蔵どんは最期に涙を流していましたが、今際の際に見たのはかつて西郷さんが一蔵どんを迎えに来てくれたシーンでした。
西郷軍鎮圧の報を受けて慟哭していたように、公的な場所では自分の感情を押し留めていただけであって、ずっと西郷さんのことは思っていたんですよね。たぶん。
「まだやることがある」とは言いつつも、西郷さんが迎えに来たことで肩の荷が降りたような顔にも感じられました。
あれ自体は感動的なんだけど、見方によっては西郷さん死神ですよね、あれ。もう休んでいいんだよ、というメッセージなのかな。
明治維新の中心人物となった西郷、大久保、木戸が3人とも似たような時期にいなくなっているのはドラマチックです。
もうここらでよか
史実だと「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に介錯を頼む話がありましたが、ドラマでは晋どんが出てこず、西郷さんが空を見上げて呟くだけになってました。
ドラマだとこれまでの放送では毎回菊次郎が「今宵はここらでよかろうかい」と言っていて、最終回だけ西郷さん本人が「もうここらでよか」と物語全体の締めを行いました。
心情まで想像するなら、冒頭で菊次郎が語っていた「時代の波に乗り切れない者たちを抱きしめ、一緒に沈んでいくのが父だった」との言葉がまさにその通りだったのかな。
西南戦争で侍のまま散って行きたかったものたちを戦いの中で死なせてやって、自分も一緒に消えていこうとしたようです。
明治維新のきっかけとなった戊辰戦争でも、旧幕府の徳川軍についた人たちは侍のまま戦場に消えて行きました。あの時とちょっと似ているところがあるのかもしれませんね。
西郷さんと一緒にいた新八どんは敵に撃たれるより刀で自刃、桂久武は銃を持たずに弓で応戦していました。半次郎はその剣術を存分に発揮してから親友の手で幕引き。それでもみんな笑ってたのが印象的でした。
その彼らを見送った後、誰もいなくなったところでの「もうここらでよか」だったので、後のことは一蔵どんたち明治政府に任せられると考えて、役目が終わったことを感じて安心したのかな。
賑やかなお墓
放送後に南洲神社横にあるお墓が映し出されましたが、なんだか賑やかそうでしたね。西郷さんを中心として私学校の生徒たちが一緒に眠っています。
新八どんも同じ墓地に眠っているようで、なんだかんだ最後まで一緒にいたのは新八どんでした。
久光様に対する命令違反で一緒に島流しになりましたし、明治6年政変でも後を追って下野しちゃいましたし。
今回は全体的に明るい感じで終局に向かっていました。明日命を落とすと分かっているのに明るく振る舞う私学校生たちを見て、後半まで泣かずに済みました。涙で送るよりも笑って送り出してあげたい感じ。
まとめ
西郷どん、完!
明治維新のゴタゴタの時期ですから西郷さんに関わった人は多く、いろんな側面からのエピソードが残っている興味深い人物でした。
このドラマでは徹底して聖人だったので、気持ちよく見れた気がします。その分大久保卿とヒー様は割りを食ってドンマイでした。
ドラマがきっかけで明治維新前後の出来事に興味を持って調べ始めるようになったので、日本史を履修している受験生は大河ドラマから入るのもいいかも。原作(史実)との違いを探すのも楽しいですしおすすめ。
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