西郷どん第8話「不吉な嫁」不器用な須賀さぁなりの応援の仕方

2020年2月9日

月に泣く

とどでございます。

じいちゃんが亡くなり、須賀と結婚したものの父、母も続けて亡くなってしまい不幸が重なる西郷さん。

須賀さんが嫁いできてから不幸続きだったため、ご近所さんからは「不吉な嫁」なんて噂をされてしまっているようです。

しかし、西郷さんは「不吉な嫁なんかじゃなか!」と一蹴。ゆっくりではありますが、お互いに愛情を育んでいたようです。

そんな折、西郷さんにとても大事な指令が下されて……。

みんなが西郷さんのために百方手を尽くす姿に心打たれました。……毎回泣かせにくるのはずるいと思うんだ。うん。

前回のあらすじ

労咳(ろうがい: 今でいう結核)を患っていた西郷さんの祖父が亡くなり、彼の心残りだった西郷さんの結婚が執り行われることに。

結婚相手は、御前相撲での活躍を気に入ってくれた伊集院さんちの娘、須賀さん。人前でうまく笑えない須賀でしたが、なんとか西郷家に馴染もうと頑張っていました。

その須賀に、夫婦がうまく過ごす秘訣を教えてくれた西郷さんの父・吉兵衛が突然亡くなってしまい、西郷さんの母・満佐も後を追うように亡くなってしまいました。

母が最後に言い残した、「吉之助さぁは好きなように生きやんせ」という言葉を胸に西郷さんは……といったところで今回のお話へ。

西郷さんちは相変わらずお金に苦しむ

お金の問題は相変わらず付いて回るようで、大所帯の西郷家は貧困に喘いでいました。

須賀さんが嫁入り道具として持ってきたお布団も質屋に入れてお金に換えたようです。ご飯を食べていくだけでも大変な状況に。

そんな折、隣の家の大久保正助(のちの利通)の謹慎がついに解けたという知らせが。3年間、ずっと家で耐えてきたのは大変だったことでしょう。その間も知識を蓄え続けていたのも素敵でした。

うっかり西郷さんはお祝いしようとしますが、今晩のうなぎを取りに行かなければならない状況だったことを思い出します。

お金の問題は、この後にある殿からの指令にも関わってくるんですよね。

ついにペリーが来た!

幕末のターニングポイントと言えば黒船来航。

泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず、なんて狂歌が読まれたくらいの衝撃だったようで。

上喜撰とは宇治の高級茶で、カフェインが多かったみたい。それを4杯飲んだら目が冴えて夜寝られなくなっちゃうよーという歌。

……ではなくて、蒸気船とは黒船、四杯とは船の数え方のひとつで、浦賀に来航した黒船で江戸時代の泰平の世が終わりを迎えるような慌てようだ、という風刺の歌でした。

作中で斉彬様は船の数を4艘(そう)と数えていました。艘という数え方は義経のハッソウビート八艘飛びに出て来ますね。

黒船について詳しく

学校で勉強した時はさして興味を持っていなかったものの、今になってどんな船が来たのか気になって来ました。

いつものようにWikipediaさんを参照すると、浦賀に来たのは以下の4隻(せき)。今は大型の船を隻と数えることが多いですから、それに合わせます。

サスケハナ

ペリーが乗っていた船。名前の由来はペンシルバニア州のサスケハナ川から。

蒸気機関で外輪を回して動力を得る蒸気フリゲートと呼ばれる艦種。当時としてはとてもでかい船。

大砲を15基ほどガン積み。

ミシシッピ

名前の由来はミネソタ州からメキシコ湾に流れるミシシッピ川から。アメリカで一番長い川で、その全長は3,779km。日本で一番長い川は信濃川で全長367km。10倍も長い。

サスケハナと同じく艦種は蒸気フリゲート。大砲は10基。

サラトガ

名前の由来はニューヨーク州サラトガから。

艦種は帆走スループ。蒸気機関は付いていなかったみたいで、帆で風を受けて走っていた様子。

大砲は22門。

プリマス

名前の由来はマサチューセッツ州プリマスから。

艦種はサラトガと同じく帆走スループ。大砲は22門。

後ろの2隻、大砲積みすぎじゃないですかね……。

と思ったけど、サスケハナの大砲が連装砲だったら30門か。こんなん海に浮かんでたらビビります。

この艦隊で浦賀に来航し、「おう、これ振れや」と言って白旗を渡して来たペリーたち。そりゃ老中である阿部正弘も激おこですよ。

でも対抗できる力もないため、相手の言われるがままになっちゃうんですよね。斉彬様も言っていたけど、備えは大切。

斉彬は先手を打った

薩摩に戻る道中、黒船が来たと聞いても、優雅にティータイムを続けていた斉彬様。見たことはなくとも、ジョン万次郎からアメリカの蒸気船について聞いていたのでさして動揺は無し。

薩摩に帰ってからは、近隣の湾岸地域に兵を送り、江戸にも兵を増援として送る手配をしました。兵を送ったのは、開国後のイニシアチブを取るため。緊急時に真っ先に動けた人なら、発言力も高まりますもんね。

油断のない斉彬様、素敵です。

また、前回から進めていた篤姫の輿入れ大作戦も実行に移すことになりました。

そこに西郷吉之助も同行することに。篤姫も気に入っているし、斉彬の覚えもめでたいしで大出世の西郷さんでした。

準備資金は30両

江戸行きが決まって喜ぶ西郷さん一家。仏壇に報告し、家族で喜びを分かち合います。

しかし、ひとり喜んでいない人がいました。

西郷さんの奥さん、須賀さんです。

江戸行きで30両ものお金がかかると知っていた彼女は手放しで喜べませんでした。

30両といえば、1両を10万円として計算すれば300万円。かなりの大金です。一家で11人養うことを考えると、旅費を捻出するのもハードモード。

江戸行きに付いていく道中のお金が経費で落ちないのが世知辛いですね。

「あ、西郷くん、来週からしばらく東京本社に行ってもらうから。交通費と宿代……大体300万円くらいかな。それは全部自分で払ってね。あの社長と一緒に行動できるんだからいいでしょ? よろしくね」なんて言われたら、現代的な感覚だと会社辞めるかも。

そうならないのは、斉彬への忠義があるからなのでしょうね。篤姫の護衛として指宿から薩摩に戻る道中、篤姫とも話すことができた西郷さんでしたが、篤姫自身の斉彬に対する感謝と忠義に心打たれていましたもの。

殴り合いの喧嘩

実は篤姫の護衛に向かう前、大久保正助と喧嘩していた西郷さん。

幼い頃からの夢である、斉彬のために全力で仕えることを諦めようとしているのを見て、正助が怒ったのでした。

正助にしてみれば、3年間も謹慎処分を受けていて、やっと城で薩摩のために働ける!! と思ったところで、当の西郷が殿の側で働くチャンスを諦めようとしているんですから、腑に落ちないですよね。

あまつさえ「そんなに言うなら正助さぁが殿と一緒に江戸に行ったらよか!!」なんて言われてしまう始末。

「下に降りてこいゴルァ!」と喧嘩勃発です。「このやっせんぼがぁ!!」と言いながら殴りかかってくる正助。自分が得られないチャンスを手にしていながら、それを諦めようとする西郷さんに喝を入れようとしたのでした。

考えてみれば正助が惚れていた岩山糸は西郷さんに惚れていた訳で、仕事でも恋愛でも西郷さんにコンプレックスを感じていたのかも。

つい「そんな嫁を貰ったから腑抜けたか!!」と須賀さんこのことまで言い始めたからさぁ大変。「おいの嫁を『そんな嫁』などと言うな!!」と西郷さんもブチギレで大乱闘に。

自分のことを言われても怒らなかったのに、他人がバカにされたら許せない、というのが西郷さんの優しさですね。

月の中で泣く

大喧嘩を経て、篤姫の護衛を終えて帰ってきた西郷さんに、江戸行きの資金を渡す正助。

実はみんなが西郷さんのためにお金を集めてくれていたのでした。

特に正助は、かつて西郷さんもお金を借りた豪商の元まで行き、自分が借金するとまで言ってくれたのでした。その豪商も「西郷さんを応援したい」と餞別(つまり貸すんじゃなくてプレゼント)として5両もくれました。50万円ポンっとくれたぜ!

そして須賀さんも、夫の夢を応援するため、泥をかぶってまで応援することに。

みんなが内職をしているさなか、「こんなことしてもお金は工面できません。里に帰らせていただきます」とまさかの戦線離脱。西郷さんが帰ってきたタイミングで「離縁してくれ」と衝撃の離婚宣言。

「江戸でもどこでも、好きなところへ行ったらよか」と手切れ金を置いて去って行きました。

突然のことに困惑する西郷さんでしたが、意図を察したあとは「あいがとなぁ」と感謝を述べていました。須賀さん、自分がいたら西郷さんの江戸行きの邪魔になると、身を引いたのでした。

父親と帰る際、「日本一のいい男と離縁してやりました」と、「日本一」の言葉を使ったのは前回西郷さんの父・吉兵衛が満佐のことを「日本一の嫁」と言っていたことへのアンサー。西郷さんの家にいたことが嫌になった訳ではなく、感情表現が苦手な自分にできる精一杯の応援の仕方としてこの方法を取ったんだなぁと感じます。

西郷さん役の鈴木亮平さんはこれを「ツンデレ」と言っていました。(週刊西郷どん)

月を背景に泣くシーンは綺麗でしたね。今回の大河ドラマは、ドラマというより映画的な映像表現を意図しているような印象です。

まとめ

不幸が続いて失意の中にあった西郷さんでしたが、斉彬から江戸行きに付いてくるよう言われて大出世。でも家族を取るか、仕事を取るかで悩むことになりました。

そこで妻の須賀さんが彼女らしいやり方で西郷さんを後押しし、郷中の仲間も出立の資金を工面してくれるなど、多くの人に支えられて西郷さんは幼い頃からの夢である斉彬への忠義を果たすことに。

これだけ多くの人が支えてくれるのは、やはり西郷さんが人のために生きていたからなのでしょうね。