西郷どん第34話「将軍慶喜」薩摩さんサイドから見ると悪の将軍

2020年2月10日

四侯会議

とどでございます。

今回のタイトルはニュアンス的に「大魔王慶喜」とかそんな感じ。でも国を切り売りするような発言をしていたので、そこまでカリスマ性はなさそうですね。ゾーマ様を見習ってください。

征夷大将軍となった一橋慶喜改め徳川慶喜が権力を持ってしまったことで、幕府側と薩長との溝がさらに広がりました。

薩摩は慶喜の動きを牽制するために四侯会議を設けたものの、慶喜の策略により薩摩以外の諸侯は丸め込まれていました。

武力倒幕するより他はなし、と薩摩は慶喜を討伐することを決意。

しかし土佐藩の働きかけで慶喜が大政奉還してしまい、倒幕の大義がなくなってしまいました。

これで平和になった……かと思いきや、雄藩で話し合うとはいえ実質的なリーダーが徳川になるのは目に見えているので、西郷さんは「これでは何も変わらない」と龍馬にチクリと釘をさしました。

前回のあらすじ

坂本竜馬が寺田屋で襲撃を受け、短銃で応戦したものの手に怪我を負いました。その怪我を癒すため、西郷さんと一緒に薩摩に向かうことに。

龍馬は一緒にやってきた奥さんのお龍と一緒に新婚旅行も済ませました。楽しんでるねぇ。

さて、その薩摩ではイギリスの公使であるハリー・パークスを歓待していました。NAMACOでOMOTENASHIしたものの、ハリーの口には合わず、嫌がられる結果に。

しかも宴会ばかりで大事な話をしないことに腹を立てたハリーは「もう帰る!」と軍艦に戻ってしまいました。

そこに押しかけたのは通訳を連れた西郷さん。相手に誠意を持って接しつつ、でも交渉なので過剰にへりくだることなく対峙し、ハリーと薩摩で協力する方向で話を進めていけることになりもした。

その頃町では「西郷さんがイギリスの軍艦に連れて行かれた!」と大騒ぎ。西郷さんの妻である糸さぁは気が気じゃないようでしたが、無事に帰ってきたので一安心です。

しばらく家を空けることの多かった西郷さんでしたが、半年ほど薩摩に居ることが出来たようで、その間に糸さぁとの間に子供が出来ました。めでてぇ。

今回はこんな話

今回のハイライトはこちら。

  • 徳川家茂が病に斃れ、これに伴い、第二次長州征伐は中断
  • 孝明天皇、御隠れになる。慶喜公が征夷大将軍を継ぐことに
  • 長州の名誉回復、兵庫港の開港阻止を目指して四侯会議を試みるも、慶喜の根回しで薩摩以外全部慶喜のイエスマンになり失敗
  • フランス、幕府への支援の見返りに領土を要求
  • 「もうやるしかねぇ!」と西郷さんと大久保で挙兵の準備
  • と思いきや、土佐藩が大政奉還の建白書を提出して慶喜さんが宣言しちゃった
  • 西郷さん「龍馬、お前何余計なことしとんのじゃ」

今回も気になる所を中心に。

徳川家茂が病に斃れる

前回から具合が悪そうにしていた徳川家茂は、20歳の若さで亡くなってしまいました。

将軍継嗣問題で争っていた家茂と慶喜でしたが、ドラマの中では「徳川を頼みます」と後を託されました。

実際には、徳川宗家に近い徳川家達(とくがわ いえさと)に継がせたかったみたいですが、家達はこの時4歳。流石にこの動乱の時期に将軍になるのは無理でした。

結果としてヒー様が将軍に。一橋慶喜は徳川家康まで遡らないといけないくらいのめちゃくちゃ遠い親戚なので、血縁を大事にしたい人たちにとってはあまりいい選択肢ではなかったみたい。

ヒー様は将軍になるにあたっても、周りの反対があったからか、はたまた固辞し続けることでより将軍になった時の価値を高めるためか、結構引き伸ばしていたみたいですね。

「俺は嫌だって言ってるのに、お前らが将軍になってくれって言うからしょうがなくなるんだぞ? ここまでしたからには、ちゃんと言うこと聞くんだよな?」みたいな感じでしょうか。あれ……将軍継嗣問題の頃からまるで成長していない……。

若くして亡くなった家茂

結構長生きの印象がある徳川将軍家の中で、かなり短命なのがこの家茂です。

原因は脚気だったようで、ビタミンの欠乏から起きる病気でした。米を精製する技術ができて白米がいっぱい食べられていた江戸で流行っていたので「江戸患い」とも呼ばれていたそうです。江戸を離れて白米以外も食べるようになると治るなんてことも。

お米美味しいけど、お米だけってのは良くなかったみたい。今回の西郷さんみたいにうなぎと一緒に食べてれば違ったのでしょうけど。

なお、20年生きた家茂よりも幼い頃に亡くなってしまったのが7代将軍の家継。数えで8歳、満6歳でした。3, 4歳で元服して将軍になったものの、肺炎のため夭逝してしまったようです。

将軍家といえども、病は大敵だったみたい。

対して徳川将軍家で一番長寿だったのは慶喜です。将軍職を辞してストレスが無くなったのが良かったのでしょうか。

将軍就任の写真

ドラマ内ではわざわざモノクロで写真を用意していましたが、史実の写真と良く似てました。

慶喜公が着ているのは、ナポレオン3世から贈られた軍服。フランスとの距離の近さが伺えます。

今回もがっつりフランス公使であるレオン・ロッシュと密談を交わしました。

「武器、お金を貸してあげるから、代わりに領地をちょうだいね」なんていう悪魔のささやきです。コンゴトモヨロシク。

慶喜としては武器もお金も手に入るし、にっくき薩摩を叩けるとなれば大歓迎。フランスからしたらお金で領地が買えちゃうんだから、こんなに美味しいことはありません。まぁそこに住んでいる人のことをガン無視すれば、の話なんですけどね。

フランスのロッシュとしては、日本と貿易しているのはイギリスが中心のため、どうにかフランスにも貿易の道を作りたかったみたい。お金を貸すためには担保も必要なので、領地を担保としていた感じでしょうか。

特に1800年代の頭頃までイギリスと第二次百年戦争で争っていたので、同じような立場で薩摩と結びついたイギリスのハリー・パークスにも対抗意識があったのかも。

孝明天皇の崩御

孝明天皇が崩御され、明治天皇が即位することになりました。ドラマの中では触れていませんでしたが、この時明治天皇は14歳。このことからも、慶喜は大政奉還しても自分がイニシアティブを取れると踏んだのかも。

孝明天皇に忠誠を誓っていた岩倉具視は「いまお側に参ります」と自刃しようとするも西郷、大久保両名に阻止されました。

しかも「岩倉様、朝廷と幕府を切り離すチャンスは今です」なんて言われる有様。悲しみの中にいるのにこんなこと言われたらブチギレ案件です。

「何を罰当たりなことを!」と言った直後に「そうやな……今しかあれへんな」と気持ちを切り替えているのは流石というか、サイコというか。鐘の音一発で切り替わるのはなかなかシュールですね。

久光様かわいそう

今回の久光様は辛い立場に立たされました。

西郷さんが根回しして開催した四侯会議でしたが、慶喜の方が先に根回ししていた事で久光の意見は一切通らず、久光以外は慶喜のイエスマンになってしまいました。

薩摩としては薩長同盟にしたがって長州の名誉回復を先に、と主張したものの、休戦中の幕府側から見れば第二次長州討伐が間違いだったことを認めることになるため先送り。幕府側からは兵庫港の開港を何としても果たしたいのでそちらを優先に。

久光様としては議事進行を取り行ってイニシアティブを取りたかったのに完全にアウェーです。もう笑うしかないですね。

慶喜も呑気に「写真撮ろうぜ!」なんて言ってましたが、泣いてる久光様の顔を残そうとするとか鬼畜すぎ。

史実だと四侯側vs慶喜の構造だったらしく、多少はあったにせよドラマみたいな分かりやすい丸め込みはなかった様子。初日は写真撮影ではぐらかされたようですが、その後はガチの議論を重ねて、何回も徹夜して討論していたそうな。

最終的に、「兵庫港の開港が決まるまでこの会議解散しないからな」と慶喜が驚異の粘りを見せた事で四侯側、というか朝廷側が折れ、兵庫港開港の勅許をもらう方針に決まりました。

四侯側としては、長州の名誉回復と兵庫港の開港阻止が目的だったので負けた形に。

慶喜が何としても兵庫港の開港をしたかったのは、井伊直弼が幕府の名前で結んだ日米修好通商条約を守るため。本来なら西暦1963年1月1日から開港することになっていましたが、ロンドン覚書によって5年延期したのでした。

延期された結果、1868年1月1日までに開港する必要があり、国内への通達はその半年前までに行う必要がありました。

この四侯会議が行われていたのが太陰暦で1867年の5月、西暦に直せば1867年の6月ですから、慶喜としてはタイムリミットがもう間近だったのです。1週間で勅許もらって国内への通達まで済ませないといけないレベル。やばい。

海外との約束を守れないとなると、それを履行する力や国を主導する権力がないことを内外に示す結果になるため、幕府としては死活問題。なのでここまで必死だったんです。

武力倒幕路線へ

四侯会議の件もあり、対話で慶喜を牽制するのは不可能と感じた薩摩は、武力で慶喜を排除する方針に切り替えました。

政治力では中枢に食い込んでる慶喜に勝てないんですよねぇ……。

イギリス公使のハリー・パークスの通訳であるアーネスト・サトウからも、「慶喜はフランスと取引して、薩摩を代償にお金と武器を借りようとしているよ」と情報が流れ、もはや猶予なし、と判断した西郷さんと大久保は兵を挙げることに。

長州で「兵を挙げて京に登ってくれ」と頼めば「待っておった!」と二つ返事。薩長両藩にとっては幕府に一矢報いる機会ですから、もうノリノリです。

岩倉具視に至っては、「勝った時にこれが正式な勅になるんやで」と勅書を偽造する始末。まさに勝てば官軍。どんな手をつかおうが…………最終的に…勝てばよかろうなのだァァァァッ!!

が、まさかの大政奉還

ここでも先手を打った慶喜、土佐藩から提出された建白書を受け入れ、大政奉還することに。

龍馬が描いていたのは、幕府が上に立って政治を行う体制ではなく、徳川家が一大名に戻って、それぞれの藩が意見を出し合い合議の上で政治を行っていく体制。西洋の議会制度に倣った形です。

冒頭、長州へ停戦協定に向かった勝海舟が「もう徳川家は一大名に戻ってもいいと思っている」と言っていたのを源流に、その教えを受け継ぐ坂本竜馬が船中八策として構想をまとめ、それをベースに土佐藩の後藤象二郎が建白書として提出したみたい。

薩長と幕府での武力衝突を避け、平和的に議会制度に移行させようと目論んだのが土佐藩でした。

内戦が始まれば諸外国の干渉が予想されるため、国力が低下したところに攻めて来られたら一溜まりもありません。それを危惧した土佐藩としては、大政奉還によって議会制度に移行するのが理想でした。倒幕が目的ではないのです。

ただ一大名に戻るとはいえ、徳川家の存在は大きく、議会制度の中でも慶喜の発言力が大きくなると睨んだ西郷さんにとっては悪手でした。四侯会議での政治力を見るに、根回し懐柔どんとこいの議会になりそうですし。

「おはん、何してくれとんのじゃ」ぐらいの勢いで龍馬に突っかかりました。逆に龍馬からすれば、「いやお前こそ何言っとるがぜよ」な険悪ムードです。

といったところでイカ、次回。

なのですが、予告で龍馬が襲われてたり、「邪魔するものは切り捨てっとじゃ」と西郷さんが叫んでいたりと、「あ、これ龍馬をやったな」と龍馬暗殺の薩摩黒幕説を思わせるような感じ。流石にミスリードであってほしいなぁ。

2回目の龍馬襲撃に関しては、京都守護職である会津藩の松平容保が黒幕で、実行が京都見廻組である説が濃厚。一橋、会津、桑名で政治の中心にいたのに、慶喜が大政奉還しちゃったことで自分たちの存在意義がなくなってしまったため、大政奉還に反対するために龍馬を襲撃したとかなんとか。

あるいは前回の寺田屋事件で、京都見廻組の捕方をピストルで死傷させたことによる公務執行妨害が原因で追われていたとかなんとか。

まとめ

前回のおめでたムードから一点、慶喜が将軍職に就いたことで薩摩にとっては武力倒幕を決断しなければならないほどのピンチに陥りました。

しかし大政奉還した慶喜を討伐する大義もなくなり、「大義のない勅命は勅命にあらず」と豪語した薩摩にとっては、振り上げた拳を下ろす場所がなくなった形に。

この後西郷さんはどうにかして慶喜を討伐すべく、「大義がないなら作ればいいじゃない」とマッチポンプで旧幕府を挑発して戦端を開かせ……おっと、ネタバレでした。流石に擁護できないレベルのクズエピソードがあるのですが、ドラマでやるんですかね?

それはさておき、次回は大政奉還と並ぶ幕末の重要ワード、王政復古の大号令が出てきます。そのはず。王政復古の大号令ってリズムがいいから覚えやすいですね。