直虎33話「嫌われ政次の一生」比翼連理の鶴、おとわ。最期は愛する人の手で

2020年2月7日

嫌われ政次の一生

政次うううううううううううううううううううううう!!!!!

うわあああああああああ!!!!!

…………。

……。

……すみません、取り乱しました。とどでございます。

今回のサブタイトルの元ネタは「嫌われ松子の一生」。

事件に巻き込まれた「松子」に対して、周囲の人が松子の人生を解き明かしていく小説、及びそれを原作とした映画です。

「一生」には政次役の高橋一生さんの名前もかけてあります。嘘です。

さて、史実通り、政次は井伊を乗っ取ろうとした悪逆の家老として最期を迎えました。

でもドラマを見ていた人にとってはそんな評価ではなく、井伊のために、おとわのために人生を生き抜いたかっこいい男でありました。

井伊の子孫である方々の家に、政次の生き様を残した資料があれば、史実の方も再評価の流れになるんじゃないでしょうか。あるといいな。

最初に断っておきますが、今回の感想は長いです。

このブログでは政次を応援しているので想いが止められなかったんです。すみません。

直虎の訴えも虚しく……

もみあげ(近藤康用)の手引きによってトラブルはあったものの、城を明け渡した井伊。

徳川の家臣である酒井忠次に井伊の再興を訴えます。しかし、もみあげは横槍出しまくり。

「抵抗することなく明け渡すのが条件だった。抵抗した小野但馬守を出さなきゃ話にならん」とあたかも政次が裏切ったかのように話を進めていきます。

いいですか、皆さん。これがマッチポンプというものですよ。

酒井忠次も、どちらかと言えばもみあげの意見に同調しています。

実際、前回の話の中で、彼は正体不明の敵に襲われていますから、政次を疑っていてもしょうがないのかもしれません。

徳川にとっての脅威となるのであれば、それは避けなければなりませんから、酒井忠次は間違ったことをしている訳ではないのです。

悪いのはもみあげです。剃られろ。

直之は賊を追跡するも

怪しい動きをしていた人を追いかける之の字。

ナイススナイプで賊の足を止めます。

その正体を確かめようとすれば、近藤の家臣として見たことのあるような男でした。

連れて行って口を割らせようとする之の字でしたが、相手は「知らぬ」と言いながらなんと自刃。

何が何でも情報を残さない姿勢はニンジャとしてあっぱれです。井伊にとっては困りますが。

武田の手紙で時間制限

もみあげ達井伊谷三人衆の報告を聞き、半信半疑の徳川家康。

直虎と直接手紙を交わしているため、今回の騒動が政次によるものだとはまだ確信していません。

むしろ、「あの者達が仕組んだんじゃないか」とまで言っているレベル。

調査しようとするも、武田から「氏真が掛川城に引きこもったから、ちょっぱやで城攻めヨロ(意訳)」なんて手紙が来てしまったため、タイムアップ。

戦に関しては井伊谷三人衆に任せるのがいい、という進言もあり、結果として本件は近藤達に任されることとなってしまいました。

本田忠勝は割と家康と同じ意見のようでしたが、いかんせん時間がないため、議論を重ねている余裕がなかったのです。

それにしても、直虎が訴えている時や、家康に報告している時、鈴木重時は何か言いたそうにしてましたね。

川名の隠し里にて

なんとか敵に捕まらず川名の隠し里に辿り着いた政次となつ。

直虎の現在の状況を報告します。「談判がうまくいかなかった時には、なんとかする」と、この時には政次は覚悟を決めていたのかもしれません。

その後、ひとときの休息を取る政次。なつの膝枕で談笑です。

その中には、第7回『検地がやって来た』での直親の無茶振りもありました。やっぱり覚えていたんですね。

「直親は全ての責任を俺に押し付けた。あれはひどかったが、あれで良かったのかもしれぬ。なつが笑ってくれたからな」

なんて、イケメンが吐くセリフを宣いました。事実イケメンでしたね。

この中で出た「政次が全ての責任を負う」というのが、今回の物語の後半にも関連していました。

今は私だけを見て

なつは服の中に入っていた碁石を政次に渡します。

それを眺めて直虎を思い浮かべようとした政次の目を塞ぎました。「今は無しです」と、今だけは自分を見ていて欲しいという想いを伝えるなつ。

なつは一歩引いてサポートしていることが多かったので、こうして自分の気持ちを前面に出すのは珍しいですね。

政次が覚悟を決めていることを感じ取り、死地に赴くまでのせめてもの間、自分と時間を共有して欲しい、という願いだったのかも。

「行かないで」とか、「このまま遠くへ逃げましょう」と言わないあたりが、彼女の強さを表しています。

直虎救出作戦

井伊谷城で軍装を整えるもみあげ。

家康に任されているだけなのに、あたかも城主かのように堂々と振舞っているあたりがまた憎いあんちくしょうす。もみあげの元に、直虎を返すよう訴えかける和尚様でしたが、もみあげは「なら政次を連れて来い」と譲りません。

和尚様そんなことしないだろうな、なんて思ってたら、「承知した」と。おいマジか。いえいえ、さすがにそこまでドライではありません。

直虎の元に案内された南渓和尚は、「落ち着いて考えろ!」と一喝しながら、何かを渡します。

さすが和尚様。

なんなら、内部の構造を確かめるためにあの演技をしていた、なんてことも考えられます。

和尚様が龍潭寺に帰れば、龍雲丸たちが待っているではありませんか。確かに、彼ら(というか龍雲丸)なら潜入ミッションは容易いですね。

鳥の翼のように

「和尚様は政次を引き渡すものと思いました」と告げる傑山さん。

それに対し和尚様は、「政次とおとわは鳥の翼のようなもの。政次無くして生きられぬ(意訳)」と返します。比翼の鳥のように、片方が欠けては空を飛べないのです。

好いた、惚れたの恋心を超えた、お互いを思い遣る愛情が見られる政次と直虎。

幼い頃からそんなふたりを見ている和尚様にとっては、政次を切り捨てる選択肢など、最初からなかったことでしょう。

身を投げ出した政次

和尚様たちの救出作戦が知らされて、その時を待つ直虎。そこに思わぬ人物がやって来ます。

そう、もみあげに捕らわれた政次がやって来たのです。何故ここに来たのか問う直虎。

それに対して政次は、「もう少しで首を取れたものを」と口惜しそうに答えます。

なんと、政次は直虎を救うため、もみあげの寝所に忍び込み、わざと捕まったのでした。

視聴者の7割くらいは、「そのままもみあげの首を取ってくれれば良かったのに……」と思ったことでしょう。7割は盛りすぎか。

見れば相当に痛めつけられた様子の政次。見ているのが辛かったです。ここでも演技を続ける政次。

少しでもおとわが不利にならないように徹底します。このあたりがまたかっこいいのです。

そんな政次の真意に気付きつつも、近藤に連れられて牢を後にする直虎でした。

もみあげの恨みは

捕らえられた政次の元に、もみあげがやって来ました。

「そなたには謀られたからな」と告げる近藤に対し、「何のことやら検討がつきませんな」と謀っている時の感じで返す政次。

第19回『罪と罰』で龍雲丸たちに木を盗まれた近藤。

当時は龍雲丸を引き渡すつもりだった政次ですが、第23回『盗賊は2度 仏像を盗む』では、龍雲丸たちを逃がすために近藤を欺いたのでした。

近藤はこれらのエピソードを根に持っていたようです。

でも近藤だって、「仏像が盗まれた」って嘘ついて井伊を嵌めようとしたし、お互い様のような……。そこは「(政次の首は)取れる時に取る、世の習いだ」と、目障りな人間を排除するつもりなのでしょう。

もみあげ剃られろ。

政次の本懐

政次を助けようとした龍雲丸は、牢に忍び込みます。

見張りを眠らせる龍雲丸でしたが、政次は逃げようとしませんでした。

理由を問うと、「殿や俺は逃げることができても、恨みが晴れなければ井伊の民が危険に晒される。俺の首ひとつで済めば一番血が流れぬ」と。

直虎にとって政次がどんなに大切か知っている龍雲丸は、政次の考えを理解することができません。

政次はなおも、「俺がいなくなっても、和尚様もおるし……お主もおるではないか」と続けます。

最初は反目していたふたりでしたが、ここでは大切な人を託せる相手として認識しています。「忌み嫌われ、井伊の仇となる。おそらく、私はこのために生まれて来たのだ」と、これが小野、そして自分の在り方だと気付いた政次。

一番大事な人を守るため、そして、その大事な人が守ろうとした民を守るため、政次はその身を投げ出したのでした。

その想いを「本懐」として、龍雲丸に碁石を託します。

戻って来たのは

直虎の元に帰って来たのは政次ではなく碁石。

これはどういうことか、龍雲丸を問い詰めます。

政次の覚悟、本懐を聞いた龍雲丸は、「あの人にとって井伊はあんただ。あの人はあんたを守るためにこうしているんだ!」と告げます。

直虎は「守ってくれなどと頼んではおらぬ!」と受け入れられない様子。彼女の中では、政次と対等でありたい気持ちがあったのかもしれません。

それが、このように一方が犠牲になることで守られるとあっては、受け入れられないでしょう。走り出し、いつもの井戸で碁石を見つめる直虎。

その様子を見た和尚様は、「誰よりも政次を知っているのはお主だ」と、政次が碁石を渡した意図を考えさせるのでした。

「我は政次をうまく使う。政次も我をうまく使え」

かつての言葉が思い出されます。政次が碁石を託した意味、それは「次の一手」を直虎に委ねたのだと理解しました。

我が送ってやらねば(物理)

和尚様から政次が磔にされることを告げられ、覚悟を決めたおとわ。「我が送ってやらねば」と自分に言い聞かせるように呟きます。

私、この「送ってやらねば」は、第7回に川名の隠し里でお経を読んだのと同じようにすることだと思ってました。

前半、政次がこの話を出していましたからね。

でも実際はまさかの……と、これは後述。

和尚様と共に、政次の最期を見届けに行くおとわ。政次が辛そうに歩く様子がまた涙を誘います。仕置き場に着き、一言も発せず政次は磔にされました。

それまでの間、おとわをじっと見ていました。

政次の前にいる2人が見せ槍を行い、いよいよ、となった時、おとわが飛び出しました。助命嘆願のためではなく、自分の手で政次を送るために。

槍を持ち、心臓をひと突き。長く苦しませないための配慮。

「よくも我を騙してくれたな! 地獄へ堕ちろ! 未来永劫、悪逆の家老として語り継いでやるわ!」その場にいる全員に聞こえるように叫びます。

それを聞いた政次は、腹のそこから絞り出した呪詛のように、「笑止! おなごが当主の井伊に未来などあるものか! そのようなことができるか、地獄の底から見届けてやるわ!」とエールを送りました。

原罪を贖うために磔にされたイエスのように、政次も井伊にかけられた疑いを一手に引き受け、散って行ったのでした。

政次にとって幸いだったのは、愛する人の手で引導を渡してもらえたこと。

死にゆくその時に、一番近くに一番愛する人がいてくれたのは、彼にとっての幸せだったのかもしれません。

政次の横顔は、どこか満足げな表情をしているのでした。

政次が遺した歌

牢を出る前に政次が遺した歌は次の通り。

白黒を つけむと君を ひとり待つ 天つたふ日そ 楽しからすや

それぞれの立場もあり、おおっぴらに会うわけにはいかない政次と直虎。そんなふたりがゆっくりと会えるのは、囲碁を打っている時だけ。

その時間をひとり待っている間に、大空を渡って行く日を眺める、そんな時間がきっと楽しいのだろう。政次は井伊のために、対外的には敢えて反目するような態度を取っていました。

直虎がその意図を知ってからは、ほぼ毎回囲碁のシーンが描かれていました。このふたりで過ごせる貴重な時間を、政次は心待ちにしていたのです。

最後にラブレターを送るあたり、それこそ一生をかけておとわを守っていたのだな、と感じられます。涙を流さず、ただ碁盤を眺める直虎の心境はいかに。

まとめ

政次が命を懸けてでも守りたかった井伊、そしておとわ。

彼は身を投げ出して、それを守りました。世の人からの誹りをその身に引き受けながらも、愛する人が一番近くにいてくれるまま逝った彼は、幸せだったのかもしれません。

おまけ

サブタイトルの元ネタ集作りました。